ある曲が終わる時。その曲はなぜ終わった感じがするのだろう?
そんな事を考えた事、あります?
何故終わった感じがするのか。それにはちゃんと理由があります。
大抵の曲には、「主音」という音が存在します。“主となる音”…と言う意味です。
曲では無いですが、音階で考えた場合…。
「ドレミファソラシド」
ならば主音は「ド」の音です。
例えば、この音階を途中で止めてみましょう(※頭の中で、音を再生しながら想像してくださいね)。
せーの、「ドレミファソラシー…」
…。
「ド」って言わせろや!!ってなりません?
ヤ〇ハのコマーシャルで有名な、
「ドレミファソーラファミ・レ・ドー」。
この曲をちょっとアレンジして。
「ドレミファソーラファミ・レ・ミー」
って歌ってみてください。
…。
終わらせてくれ!!ってなるでしょ?いらんことすな!!って。
「主音」ってのはそんな感じで、終わった感のある音なんですよ。勿論それだけではなく、“始まった感”もありますので曲の始まりに使われる時も多いです。
つまり「主音」は「主」と言うだけあって、その曲全体を治める力を持っているんですね。
まぁ私の場合、あんまり安定的な力を持っている存在は好きじゃないので(嫌いでもないですよ?)。
ここで紹介したいのは、その主音を導く音「導音」です。
また皆さんに歌ってみてもらおうと思います。先ほどの音階
「ドレミファソラシド」
を、
「ドレミファソー…」
で、止めてみてください。
そして今度はもう一つ。先ほどもやっていただきました。
「ドレミファソラシー…」
で、止めましょう。
どっちがストレスですか?恐らく、後者だと思います。
その理由は「シ」の音を歌ってしまっているから。
この「シ」の音を歌ってしまうと、「ド」の音に行かせろや欲求が嫌がおうにも高められてしまうんです。主音に導かれてしまうんです。
これが「導音」。
この音があると、安定したい気持ちにさせられたり。この音で終わられると、目の前にある欲しいものが手に入らない切なさを感じさせられたり。
基本安定的ではない、いろんな気持ちにさせられるんです。勿論、主音に導いてくれるという「安心感」も感じさせてくれたりしますね。ああ…終われるんだ…って。これでただの男に…って。チャンピオン的な…。
良くも悪くも、終わってしまえばそれまで。安定しちゃったらそれまで。
それよりも、終わる直前の火花のような。最後の最後にくるクライマックス的な。あがき的な。
そんな感じのする「導音」が、私は好きです。
聞いてねぇよって?
はい、次回の練習は…
10月20日。
19時~…発声練習
19時20分~…全体練習
20時25分~ソプラノパート練習
ーです!
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※写真は発声練習中の姜先生。
磯貝先生のピアノを聴いて居眠りしているわけではありません。
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